Luvit Tex Take Mix

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K2 / Yasuhito Fujinami - "S/T"

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ノイズ・ミュージックという限りなく快楽的で、そして限りなくエクストリームな音楽はいったい何処へと連なっていくのだろうか。多くの人のように非常階段やメルツバウがノイズへの入口だった私も、それから何年か経って、ジャパノイズと称された日本のノイズに始まり、海外の現行のノイズに触れるようになっても、ノイズミュージックの深淵へと辿り着くにはまだまだ知識も浅ければ、聞き足りてもいない。未だに「ノイズを聴く」という行為の纏うある種の「特別」のようなものを拭い切れてはおらず、まだまだ私も私の耳もケツの穴も青臭い。

K2とYasuhito Fujinamiの二名によるこのセルフタイトル・スプリットアルバムは、終わりに近づくテン年代の後半にも留まることを知らぬノイズの勢いをまさしく音で体現した重要な作品として記されるべきだろう。説明は要らないと思うが、日本のノイズを語るうえで外せない男、八十年代初期から膨大なカセット作品をリリースし、今やジャパノイズの帝王の一人として君臨するのが草深公秀によるK2。そして、今回、ここでフォーカスを当てたいのは、ハンガリーのノイズレーベル、綾波レイのポスターをレコードに付けてくることでお馴染みThe RitaBlack Leather Jesusといった現行ノイズ大御所も擁するThe Level of Vulnerabilityからのリリースで私もその名を耳にすることとなった埼玉のノイジシャン、Yasuhito Fujinamiである。

彼は2015年頃から膨大な数のカセットとデジタル作品をリリースし始め、Macronymphaの旧友Armenia主催のBizarre Audio Artsや近年ディープな盛り上がりを見せるHarsh Noise Movementなどから作品を発表するなど活動の拡大に余念が無い。こちらのアートワークは、The New Blockadersの「Le Retentir Non」やUrashimaのコンピ「Valkoinen Kohina」などでデザインを務めるコラージュ・アート作家、Ewan Aparicioが担当していて、マニアの必涎のアイテムといったところか。

こういったことを書くのもアレなのだが、この人のツイッターからも感じられるようにYasuhito Fujinamiのノイズには暴力性というよりも、音楽への探究心や誠実さ、人柄も汲み取れるような俗ならぬ魂が込められているように私は思う。ノイズをただの「騒音」として終始せず、深く己をみつめ、省み、繊細な感情の機微を表現する絵筆として向き合っている姿が-音楽を音楽として作り手自身看做していなかったことも多々あった一環のパフォーマンス・アートとしての領域から、純粋な音楽としてのノイズへと向かっていく姿が私には見えるような気さえしている。

Yasuhito Fujinamiの音楽はおしなべて未来志向であって、もちろん過去へのリスペクトも徹底されている。一貫して音の粒も細かくクリアになった近未来的なテクスチャーは新鮮なものに感じられ、ノイズという音楽を作る人の世代も変わりつつあるのだなと認識される。Kazuma KubotaPuce Maryといった00年代以降のオルタナティヴなノイズの流れにも共振するようなポスト・ノイズ的な音風景は、ノイズのアンビエント的側面を強調して、静謐さすら覚えるように包容力を持ち、従来のような無機物から生命の神秘を感じさせる有機体としての躍動感を以て、綿密に敷き詰められている。霊性さえ感じるその神聖なタッチは、壊すのではなく、構築していくような感覚だ。新しい、この人のノイズを私はこれからももっと聴いてみたいと思う。「ポスト・ノイズ」が無かったとしても、日々の生活の一部として。

THE ROLLING GIRLS - ロリガ・ロック・ベスト! ~Songs of the mob, by the mob, for the mob~

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久々に帰った北埼玉の、妙に広々してるGEOにふらりと入店した。

取り扱ってる映画も音楽も、どれもこれもが、相変わらずありきたりで、

どうしようもなく、つまらなかった。

店内からはアニソンが流れてくる。

 

いつの間にかしょうもない風景の一角に深夜アニメも紛れ込んだのか。

何だかなと甲高い声の番宣を店内で聞きながら、

その小汚い店内をふらついていた。

 

「気が狂いそう」

 

相変わらずの甲高い声だが、流れてきたのはブルーハーツ

ゼロ年代末、十代の頃にパンクロックとして

ブルーハーツを聴いてたやつなんて殆どいなくて、

(パンクロック好きはもっと尖ったものを聴いていた)

日本一いなたい埼玉のFM番組から

トラックの運ちゃんへの応援ソングとして流れている体の、

どうしようもなください音楽。でも、不意に流れる1節が強烈だったりする。

 

ただ今流れているそれは、

どうせブルーハーツのカバー商法の一貫にアニメが便乗しただけの、

くだらない代物なんだろう、

そう思いながら「人にやさしく」とともに聞こえてきたアニメの番宣に苦笑した。

今流行のご当地アニメ。しかも舞台は埼玉所沢かよ。

それにブルーハーツときた。笑うしかない。

 

そうしてブルーハーツが使われたご当地アニメ「ローリングガールズ」は、

アニメ放送のリアルタイムでは結局一度も観なかった。

 

しかしひょんなことから、

「ローリングガールズ」がみたくなったのは放送終了して半年ほど経ったある日。

huluをつかって、一気に観てしまった。

 

話はご当地アニメというよりかは、サイケなロードムービーという体というのが近い。

バイクで女の子が移動しながら、その場その場の短編がオムニバスとして繋がる。

正直わかりやすい直線的な話じゃなくとっちらかっている。

だけど、みじかい5分くらいの1楽曲にぐっと心惹かれるように、

短編のなかで、無性にエモーショナルな気分になってしまうのだ。最終回も。

 

そしてまた選曲がよい。OPが「人にやさしく」ではあるが、EDが「月の爆撃機」。

1話挿入歌が「1000のバイオリン」。最初にでたシングルでも、

ちゃんと、月の爆撃機の次に1000のバイオリンという順で収録された。

ちゃんとブルーハーツのライブセットリストや、アルバム「STICK OUT」通りである。

演奏もチャチな打ち込みじゃなくて、しっかりとバンドサウンド。

 

実は宇宙人という設定の、モッズコートを着たちいさい女の子が出てくるのだが、

そいつがまたかわいい。

その子の声で歌うブルーハーツが、かなりいい。かわいいからじゃなくて、

青臭い少年のようなそれの、

アニメ的に成熟した声とはズレたその感じが、

かなり楽曲のトーンと合致してるのだ。

 

アニメビジネス的に、シングルとアルバムとで

カラオケ音源とセットで小出しにしてきた売り方は汚いけれど、

カバーされた楽曲そのものは誠実だった。

結局ロリガに触発されて、ようやくアルバムでブルーハーツの音源も聴いた。

自分自身、青臭い十代でなくなって、バンドやレコード屋の店員もうまくいかなくて、

いなたい埼玉のハズレの家をとびだして(仕事もやめて)、

東京で新たな生活をはじめた。

はじめたのだけれど、結局、

会社でもまれる貧困サラリーマンになってしまっていた。

いなたい糞みたいなラジオやロックから逃れたというのに、

結局まわりまわって、ブルーハーツで鬱憤を晴らす自分がいるのだ。

 

だからこれを聴けばいいと思う。ようやく1枚のCDに楽曲がまとまったので。

これを聴いて、残業から帰ってきた深夜に一人で、国道を疾走すればいい。

おっさんになってしまったゼロ年代のティーン・エイジャーよ。

 

 

ハリウッドザコシショウ ”ゴキブリ男”

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2016年R1ぐらんぷり優勝を飾ったのは、あらびき芸でおなじみのハリウッドザコシショウだった。同期は中川家陣内智則ケンコバなど。
優勝賞金と共に深夜での冠企画番組、そしてついには歌手デビュー。プロデューサーはソロアルバムリリース、そしてバンドでのアルバムリリースを控えた石野卓球だ。
石野卓球といえば、篠原ともえのファーストアルバムの全面プロデューサーであり、数々のリミックスワーク、楽曲提供を行う国内きってのテクノ、ポップスプロデューサーであり、電気グルーヴというテクノカルチャーを大胆かつ下品に時にシリアスに日本という国に広めた男だ。
WIREなど国内レイヴの主催でもお馴染み。

 

そんな石野卓球ハリウッドザコシショウというサブカルチャー気質の二人が作った楽曲が
「ゴキブリ男」だ。ダウンロード配信限定だったが、7インチレコードでのリリース筆者は飛びついた。
作詞作曲石野卓球 コーラスに盟友ピエール瀧も参加。
MVはかなり強烈でYouTubeでの評価も賛否を呼んでいる。

 

 

曲構成は全てサビでゴキブリ男!を連呼する中毒性の高い曲で、ザコシショウのお家芸である”誇張されたザキヤマ”や”誇張された野々村議員” ”どこかにいそうなジジイ”の叫びがディレイされた声でスピーカーから流れる。アガる。

 シンセのコードとリフSEセリフが入り混じるがちゃんとポップミュージックとして狂気をとりいれている風だ。ビートはなんとなく「人間と動物」辺りの音色に近いデジタル寄り。

元来音ネタ替え歌などのネタは豊富で、卓球に「歌が上手い」と言わしめた歌唱力。

 

文脈でいうと、芸人がCDを出すと酷いというのがエンタ芸人以降風潮としてあるが、タブーに飛び込む芸風のザコシショウにとって、或いは「ゴキブリ音楽独占!」と語る卓球にとってこの邂逅は、YMOスネークマンショーの”タイトゥンアップ”のカヴァーや、”MCコミヤの遣唐士です!”などの珍曲達と並ぶ。

愛のある露悪と笑いを愛す卓球なりの人生のセルフパロディというべき解釈も取れるし(そういえば電気グルーヴのツアーで恐怖カメレオン人間!をアンコールでやってました)まず7インチっていうのが良いです。データでも良いですが、ギネスに載らない天才新庄を思い出します。メジャー級。