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牛尾憲輔 - "映画『聲の形』original soundtrack 2 inner silence"

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agraphの楽曲は、徹底的に突き詰められて隙間がない。3作目である「the shader」において、それがより特化し、かつわかりやすいメロディアスなエレクトロニカからも逸脱をしてしまった。日常において、街中で歩きながら聴くには些かヘビーであり、歩くことに集中ができない。音だけで、視覚だけでなく、別の感覚をも音に引っ張られてしまう。

 

更にそれがより精鋭化した作品が、京都アニメーションによる映画『聲の形』に特典として付随した、「新規音声トラック “inner silence”」(及び、特典CD「映画『聲の形』 original soundtrack 2 inner silence」)である。恐らく、このBlu-rayを購入した9割以上の方は、このトラックでの全編視聴をすることはないだろうが、私がこのアニメ作品における不満を全て払拭した映像体験が、このinner silenceでの鑑賞だった。

 

本編は、聴覚障害がテーマとした人間関係のドラマが描かれるのだが、日本のアニメーション作品自体が、(『君の名は』などが顕著だが)ただでさえ実写よりも情報量が意識的に強調されたものであるアニメーションのなかに、カットの多さ、特徴のあるキャラクタービジュアルに、特徴のある声優演技・そしてセリフ数の多さ、説明の多さがある。更に、リアルな現実風景を模した背景美術の中でも感情を訴えさせられ、そこに効果音やBGMまで積み重ねた中で、ぎゅうぎゅうに情報圧縮されたものが、画面と音から視聴者に対して凄い勢いで通り抜けていく。その中で視聴者は、とりあえずわかる記号を手当たり次第にとって、鑑賞を終える。鑑賞のうちに、行間を読む暇もない。それはもうアニメ映画に限った話ではない。日常においても広告だらけの風景の中で、耳に音楽、片手にスマートフォン、みている画面も複数のSNSやゲームが並行して行われ、凄まじい量の情報が終始流れている中で、私たちは歩いてるつもりになっている。実際その中で、私たちは、何をみているというのだろうか。

 

近年の海外インディペンデンスアニメーション、「父を探して」や(日本配給ではあるものの)「レッドタートル」では、その情報数を意図的に減らし、非リアル的なアニメだけでなく、セリフを廃するような方法も取られた。『聲の形』でも、テーマが聴覚障害であるならば、声による情報をもっと抑えてもよかったのに、という個人的な不満点もあったのだが、音声そのものを排し、内面の音ともいえる、ドローン音源だけで音が構成された“inner silence”での鑑賞体験によって、よりアニメーションとしての情報量の多さを十分に享受する事ができる。

 

本作においては、「雲」が描かれていないという。空の雲自体が雄弁過ぎるゆえ、雲を排しただの青空・雨空・夜空とすること。それは、“inner silence”トラックとのコンセプトへも繋がる。殆ど止まることのない音の連なりの中で、本当に大切なタイミングで、『音』が変化する。低音の音響も素晴らしかった。本当は、映画館で体験したかった。極力、自宅での鑑賞においても、音響を整えた上で鑑賞に臨んでほしい。